JuniperBerry’s diary

日々感じたことや ふと思い出した事を 書いてます

合気道が全ての発端だった という話

 

大学を卒業して、ちょっと一拍おいて

入社した会社は 中途採用だった

というのも 

日本での面接試験(入社ではなく他)の日程に合わせて

シベリア鉄道経由で帰国したのが 6月末

 

もう一斉に就職活動をするという時期じゃない

 

帰国して10日ほどした頃のこと

面接試験の結果を待つ間

ずっとぼんやりしてるのもなぁ と

思いつつ

朝日新聞を見ていたら

留学前にさんざんお世話になった会社が

求人を出していた

 

その時は、中途採用って

既にその方面に経験のある人を求めているんだ

なんて 気にもしていなかったし 考えもしなかった

 

ただ、丁度、英語も活かせそうだし

ここなら働いてもいいかも と

願書を出して 面接

 

その時はもう一つの試験に受かるつもり満々で

それまでの腰掛けのつもりだった

今から思えば なんて嫌な奴なんでしょう

 

まだまだ学生気分が抜けきらない

怖いもの知らず

 

採用通知が届き そっから何年か勤務した

(受かるつもり満々だった もう一つの試験は

補欠1番でダメだった😱  s***〜〜〜t‼️

その上、例年、辞退する人が必ずいたのに

その年は 誰も辞退しなかったのーーーっ 😫)

 

その後結婚して

夫の海外転勤について行くことに決め

来月には会社を退職するという時

 

他部署の部長に(多分初めて)声をかけられた

ちょっとした世間話の後

「職務経験のないJuniperさんを採用しようって

推したのは僕なんだよ

合気道やってる人は 根性があるから間違いないって」

 

うわあ、なんて返したらいいんだ

合気道はすっかり忘れて

腰掛けのつもりで入社

そして今度は 夫について海外行きますって

 

部長の読み ハズレまくりましたね

 

ていうか

根性を期待してもらっていたことに

気づくことさえなかった だめだめだっめぇぇぇーーっの私

 

ほんと、ほんっとにごめんなさい🙇‍♀️

 

働いている時は 何かとぶつぶつ言ってたけど

今から思えば すっごく良い会社にご縁をもらった

 

良いことはどんどん取り入れる(ワンマン)社長のおかげで

あの時代でコアタイム制だったし

女性が活躍していて(私のついた4人の上司の半数は女性)

お給料に男女差なし

フロア禁煙

仕事を通していろんな人に会えたし

アイディアを出し、企画して

それを形にしていく嬉しさ楽しさを知った

皆んな個性的だったけど、心が広くてとっても楽しい人たちばかり

(もちろん 合わない人はいたけれど、それはどこでも一緒)

午前様になることも頻繁だったけど

仕事が楽しかったから それほど苦ではなかった

(だけど、残業代は出なかったのよねー、職種がら仕方ないけど)

 

「ヨーロッパ」に ぱっと飛びついて

夫について行く行く! と

良くも考えず決めたけど

あの会社に残ってたら どうだったかなーって

時々想像することがある

 

それより何より

 

もし 私が合気道をやっていなかったら

部長が推してくれなかったら

この会社に入ることはなかったのだよね

 

そう考えると何事もご縁

何事も選択の積み重ね なんだわ、と今更ながら

 

会社に入ったのも

ヨーロッパに行ったのも

今京都で暮らしているのも

 

自分の預かり知らぬところで

いろんなご縁が結びついて

今の自分があるんだなー なんて

ちょっと 思ったのでした

 

あ、そうそう 結婚前の話

合気道部の友達と卒業後に会った時

彼の会社の同僚がついてきたんですけど

それが夫だったんですよね

なので

ことの大元の大元

発端は全て 合気道ってことになるでしょうか

 

合気道なしには=大学で合気道部に勧誘されなかったら

就職先も結婚相手も今の自分も

全く違っていたかも、というお話

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ドイツの田舎道を運転する

 

夕日の沈む景色を思い浮かべる時

私は

海に沈む太陽を イメージすることが多いです

 

都会の夕日なら、窓への反射で

光でできた建造物に変わったビル群

 

住宅地なら 濃い影になった甍の上の真っ赤な夕焼け

でしょうか

 

一方で 日本国内で

水平線近くの森や林に沈む様子を見るような

場所って あまりないような気がします

 

ありそうなのは 北海道?

あと ヨーロッパの北側も多そうです

オランダなどは 海抜0mより低い場所ばっかりなので

 

ドイツの中では どちらかというとオランダ寄りの

ノルドライン・ウェストファーレン州

ヨーロッパ諸国の中では イギリスの次に

在留邦人が多く住む 

ドイツ

中でも日本人駐在員が多いのが

デュッセルドルフ

その郊外のそのまた郊外の

村と言った方が良さそうな

とってもとっても小さい町に住んでいました

 

町の端っこにある 車乗り入れ禁止の

お買い物スポットには

薬局とお肉屋さんとスポーツジムと郵便局

その外は もう 広い広い牧草地&畑&森

 

その牧草地を突っ切った所にある

乗馬クラブ(というか 厩舎)に 一時期通ってました

 

だだっぴろくて真っ平な 牧草地の中に

一本まっすぐ伸びる田舎道 

そこを 車でぶんっと飛ばしたら

どんなに気持ちいいか

 

って思うでしょ

 

それがね、出せないんですよ 速度

時速40km/hどころか

時速20km/h だって出せるかどうか

 

とは言っても

速度制限どころか 交通標識のない無法地帯です

見晴らしもいいんです

建造物もないし 

川も流れてないし

鹿出てきません

熊出てきません

猪見たことないです

万が一 出てきたとしても

遠くからすぐにわかります

 

では なぜ速度を落として走らなければならないか

 

それは今年の干支に関係があります

そうです!

うさぎですっ

 

牧草地と道の境界が あやふやなだけあって

道の上で 

ピーター・ラビット が

お食事したり、おっかけっこしたり

いちゃついたり、喧嘩したりしているんです

 

車が近づけば 逃げるから大丈夫じゃないの? って

思いましたよね 

 

はい、そうです 逃げます でも

速度は出せません

 

これ、実はうさぎの習性に関係があります

うさぎの捕食者といえば

鷹や鷲、狐など

 

天敵に襲われて逃げる時

うさぎは 一方向に逃げると見せておいて

きゅきゅっと

元来た方向に 方向転換をする

というトリックを使うのです

 

この方策

鷹 狐 テン 人間 などなどには

効果あると思います

でも

車って 横幅あるんです

方向転換しても車の走行幅の中で

ずっとジグザグ走っているだけになっちゃう

 

まだ 一直線に走った方が 

逃げるにゃましなんじゃないの? と

アドバイスしてあげたいけど

本能の縛りはキツい

なので その道を通る時は

目の前をジグザグジグザグ

陸上トレーニングをしているような

ウサギの群れを追いかけて まるで

伴走車のように

ゆっくりゆっくり走ることに

 

そのため、家から一番近いはずが 時には

道中一番時間のかかる 乗馬クラブになってしまった

 

でも 毎回毎回 うさぎの群に遭遇する訳ではないし

やっぱり広々とした中を行くって

気持ちがいい

 

鷹が空を舞って

狩をするところを見ることができたり

夕日が森に落ちていくのを見たり

 

道なんだか草地なんだか

境界線が時々わからなくなるような

田舎の道路

もちろん街灯なんてものはなく

夜は真っ暗

 

車のライトを反射して光る いくつもの瞳の中を

のろのろと走るのも

ドイツの田舎道 ならでは かもしれないです

 

私が夜ご飯を食べなくなった きっかけ

 

夕食は少なめです

なんなら 水分だけのこともあります

 

食べられないわけではないんです

友達と会ったり 会社での懇親会だったり

夜のお食事会では きっちり食べます

 

ならばなぜ?

 

夜食べると太るから

それ あります

 

でも 昼間お菓子をしっかり食べるので

痩せたかったら 

夕食抜くより

お菓子をやめたほうが ダイエット効果は高そう

 

「実はかくかくしかじか」の理由を

お話しようと思います

そんなん 興味ないわ という方も

多々いらっしゃるかと 思いますけど 

……すみません

 

私が夜、量を食べなくなったのは

大学 3年生の頃から

 

その頃 カナダ渡航の準備や

卒論の調べ物なんかで

部活とアルバイト以外は 図書館にいるか

部屋に籠って 机に向かっていることが多かった

 

体を動かすわけで なくとも

勿論 お腹はしっかり空くから

夜食ならぬ 夜スナックをお供に 

日常的に夜更かし

 

その頃は がっつり夕食とって

夜中の3時とか 余裕で起きてました

 

週に一日だけ 卒論の担当教官の授業が

「1限」に入っていたため

その日だけは 這ってでも間に合うように

出席しなくちゃならなかったけど

他の日は 早起きする必要もなかったので

どんどん夜更かし&夜食のスパイラル

 

ゴールデンタイムなんて 

若い時って気にしなかった

あの年頃って 寝不足でも肌の調子良いし

 

そして

その日も 机に向かっていた

 

コンコン 

 

ドアをノックする音がして

時計を見ると 午前2時

こんな時間に 誰だろう 

出るの面倒だし 夜だし と

逡巡していると

 

また ノック

 

はいはい わかりました

もー、仕方ないなあ 今出ますって

「はーい」と返事をしながら 部屋のドアを開けた

 

(ちなみに私、学生寮に入ってました

以前にも鰹節や新歓のお話でちょっと触れましたけど

 

怪奇現象!? いえ、それは - JuniperBerry’s diary

罪作りな…… - JuniperBerry’s diary

 

開けた先は真っ暗な廊下

誰の姿もない

廊下に出て辺りを見回した

ほんっとうに誰もいない

 

何なの???

なかなかドアを開けなかったから 痺れを切らした?

「短気は損気よ」と呟いて ドアを閉めた

でも ま、いっか 急ぎの用事じゃなかったんでしょ と

 

ところが翌晩も ノックする音が聞こえる

ハッキリと

 

コンコン

 

今度はすぐにドアを開けた

やっぱり 誰もいない

 

「おーい」と呼んでみるけど

何の返事もない

足音も聞こえない

イタズラして隠れるにしたって 

この速さでは 瞬間移動でもしないかぎり無理

 

あるとすれば、

向かいの子か隣の先輩か

(どちらも そういう悪戯をしそうなキャラではないけれど)

 

そして、そのまた翌晩も ノックする音が聞こえる

ハッキリと コンコン

そして ドアを開けると誰もいない

またかいな😠

いたずらにも程があるって!

 

その翌晩も、また翌晩も そのまたまた翌晩も

 

さすがに

向かいの部屋の子をつかまえて 話してみた

「夜の2時頃に、ノックした?」

 

「ノックなんてするわけないよ、朝が早いもの」

そうなのだ 農学部の彼女は

実験だったか実習だったかで

その頃 夜型だった私とは ほとんどすれ違いの生活だった

 

だけど と彼女が首を傾げた

「そういえば、このごろ変なんだよね 

ここ3階で ベランダなんてないのに 

窓のすぐ外から音がしたりとかさ

それがさ、うちの棟だけじゃなくって、他の棟でもらしいんだよ」

 

農学部の彼女、実はちょっとそっち系に敏感

 

これ以上 聞いたら 

夜トイレに 行けなくなりそうだったので

こっちから 話を振っておいて 申し訳ないが

さっさと切り上げた

 

修学旅行でも 怖い話大会になると

布団に潜って耳を抑えて

絶対に聞かないようにしていた私 である

お化け屋敷も基本 行かない

肝試し? ありえない 

 

そういう話には免疫がない

だから

夜中の2時(そう、いつだって2時だった)のノックの音だって

そっち系の可能性は 考えないようにしていた

だから ノックのたびに 何度でもドアを開けたんだけど

 

2時のノックはその後も

ずっと続き、出てもどうせ誰もいないし

(やっぱり怖いし)で

ドアを開けるのをやめてしまった

 

そう、もうおわかりかと思う

私が夕食を抜くようになったのは

夜中のノック音を 聞かないで済むようにするため

 

ノックの音では起きないくらい 

しっかり熟睡するために

夕食を抜くようになった

(お腹がいっぱいだと なかなか眠れないので)

 

その後、宵っぱりの会社に入社して

その習慣は一旦 なくなった

夜中のノックも あの女子寮限定だった

 

けれど

 

神戸の社宅の

誰もいないはずの上の階から

子供の走り回るような物音が聞こえ

その上

社宅の同じ棟の奥さんがたに、見えちゃう人が多く 

そっち系の話が大好きときた

 

かくして 夕食抜きの

早寝早起き習慣が復活した

 

京都ではそういう類は 全くないので

(やはり京都は護られてるのかしら?)

夜更かしOK  気持ちが楽🎶

 

夜更かしは住む場所によって

したりしなかったりと変わるけれど

夜食べずに寝るのだけは 習慣になってしまって

今に至る

 

 

 

 

ドイツ窓考察 国産と輸入どう違う? 

ドイツ窓(ドレーキップ)を愛してしまっている 私

ドイツ窓が好き - JuniperBerry’s diary

 

さて、日本で どうにかして ドレーキップ窓を使いたい! 

という場合、 選択肢は2つ

それは 日本製と海外製 

シンプル〜

 

ところが この両者の間には 

埋めがたい

おーきな おーきな溝がある

 

感覚的にいうと

見た目がまず違う

 

同じドレーキップ窓でも

日本製の場合は 外観も日本人っぽく あっさり醤油顔

外国製の場合は 彫りの深い インド=ヨーロッパ語族な感じ

 

それがどこから来るかといえば

窓の付け方にあった!

 

国産のドレーキップ窓

YKKLIXILなど いろんなメーカーから出ていますが

ここではエクセルシャノン)は 半外付け

外壁に枠をつけて そこに窓をぱかっとはめる

 

一方の輸入ドレーキップ窓は 内付

文字通り内側からつける

 

ドレーキップ窓の良いところは

縦辺と下部の2箇所をそれぞれ軸にして

内側に開くところ

 

それは国産も輸入も変わらない

ただ、下部を軸にして上部を内側に倒す場合

外についているのと内についているのとでは

壁に厚みがある分

屋内に入る深さが違う

 

国産の場合は せっかく内側に倒れているのに

半分くらいは 壁の中

 

それだけじゃない

日本では網戸は必須だけれど

エクセルシャノンの網戸は 

一旦取り付けたら外せない

窓から外を見る時は

もれなく網戸越しになる

 

掃き出し窓は 幅が狭すぎて

出入りするには

横歩き

出られたとしても 外側から網戸は閉められず

ドアも閉められない

 

一方のドイツ製の輸入ドレーキップ

(ここではオスモ&エーデル社)は

上記のどれもクリアしている

網戸だって開け閉めできるし

掃き出し窓からは出入りできるし

外から閉める事だってできる

 

さすが本場は違う

国産メーカーさん、ちょっと見習ってくださいよっ

と 悔しくなるくらいの この違い

 

ここまで 機能差があるとなれば

輸入窓しかないでしょう!

 

ところが 輸入窓には大きなマイナス点が

 

まず、価格が高い

同じ樹脂窓なら、市販価格はあまり変わらない

けれど、ハウスメーカー毎の割引率が

冗談みたいに大きい

(日本製の窓の定価って 何なの? と不信感が生まれるほど)

よって、価格差は2倍ほどになる

 

特注品を使おうとすると

輸入物は当然時間がかかる

特注サイズにしたからといって

そんなに金額に差は出ないのだけれど

輸送状況に左右されるのは仕方のないところ

 

そしてもう一点 

ラスボス登場

これは窓自体にかかわるというよりも

国産・輸入に関わらず 内付窓を取り付ける場合の

施工方法によるものらしいのだけれど

 

建物に窓を取り付ける場合

窓と壁との間を コーキングなる処置にて

水が入り込まないようにする必要がある

 

そのコーキング 5年をすぎたくらいから

劣化が始まる

放置すれば その部分から水が漏れ入り

建材を腐らせることもあるそうな

 

防ぐためには コーキングの打ち直し

2階に窓があれば 足場は必須

 

ドレーキップの良いところは

2階に取り付けた場合に甘受できる

だけど2階に取り入れれば 

メンテナンス時に 足場が必須で

ウン十万という 金額が

間隔が短ければ

5年ごとに飛んでいく

 

(国産の場合は コーキング部分が

枠で影になっているので 劣化は早くない)

 

機能と見栄え

vs

出費

 

さてどっちをとる?

 

それはね

お大尽なら迷うことはありません

ぜーんぶ輸入ドレーキップにしちゃう

 

ですが

懐が異次元のお財布に通じているわけではない 

ごく一般庶民の場合

選択肢は狭くせまーくなってしまう

 

さて、どうしたものか

 

 

 

「ご縁」は異なもの味なもの

 

 

お題「節約する(ケチる、ともいう?)のが好きですが、みなさんの節約術を教えてください。ぜひ参考にさせていただきたいです。」

 

 

こちらのお題で なんと2回目の投稿です

これで どれだけ私が「節約」しなきゃって

悩んでいるかがわかろうというもの

 

さて節約といえば

お金とのご縁を繋ぎとめる ということでもあるかと

そしてご縁といえば お金以外にも 人、場所、物…と

結ぶ相手は いろいろ

 

このひろーい 世界で 私と出会ってくれたお相手です

ご縁は

大切に育てていかなくっちゃって思ってます

 

でも、最近

それほど「ご縁」じゃないものを 大切な「ご縁」と思い込んで

「ご縁」を結んでいる件に 気づいてしまった

 

はい ご明察

買い物で出あうご縁 です

 

特に私の場合 日本舞踊やお茶を習っているので

和の習い事をしていない人に比べて

この「ご縁」という言葉を聞くことが多いよう

 

和の習い事に共通して必要なものと言えば

そう、呉服です

 

そして呉服売り場でよく聞く言葉が

「ご縁」

特に私はリサイクル品愛用者なので

目に入るものは

一点もの、といえば一点ものになるのかな

少なくとも その場には1枚しか存在しない

 

そういう時、「ご縁」がコールが

販売員さんからも

私の脳内でも

連呼される

 

ここで逃したら、次いつ出会えるかわからない

一点ものよ 

これが最初で最後のチャンス

一期一会

 

そんな大仰な台詞が 脳内でコダマスル

 

そのうち

この着物に あの帯で 

来月の舞の会にピッタシじゃない?

なんて 思い当たってしまう

 

使う シチュエーションが浮かんでしまうと

ご縁は もう 6割がた結ばれている

 

この時 私の頭の中では

馬子にも衣装で 大阪に繰り出す 

我が身の姿が 10割増くらいで 浮かんでいる

 

ここ2年ほど(コロナ禍で)ご無沙汰していて

年に1回あるかないかの イベントなのに

何十回もあるような気になっている

 

ただ、この流れはお決まりなので

流石の私も 思い至る

 

ちょっとまて、舞の会は年何回だ?

この着物の代金で 何回ランチできる?

そして 10割増の姿が 

2割増くらいまで

しゅーんと縮こまって

 

「やっぱり いいです」と

なるのがいつものパターン

 

けれど、そこで店員さんの

「ご縁」ワードが タイミングよく繰り出され

すかっとハマってしまうことがある

そうなると

「買わない」「買えない」「買っちゃあならぬ」と

思っていたのに

180度方針転換

「買います」って 

うっかり言っちゃってたり

 

これは呉服に限らない

洋服を買う時も 

手作り一点ものを目の前にした時も

この現象が起きる

 

ご縁は大切にするもの という

すり込みもあって

「ご縁」ワードに 一も二もなく

ひれ伏してしまう 自分がいる

 

なので この頃は

とっても素敵な「ご縁」は

今この瞬間の私とのご縁であって

未来の私とのご縁じゃないわ

と 時間軸まで利用して 

お洋服とのご縁と自分とを

強制的に切り離す手段にでている

 

 

だけど やっぱり

素敵なものや 

自分の好みにすとーんとハマるものに出あってしまうと

現在未来に思いを馳せる余裕なんて

ない

 

なので

やっぱり 一番の方策は

「見ないこと」「出会わないこと」

行かざる見ざる 🐒 - JuniperBerry’s diary

に なってしまうのだった

 

あ、あともう一つ

「一晩寝かせると決めているんです」というセリフを

自宅の鏡の前で 何度も何度も繰り返し

店員さんにだろうと 

自分相手にだろうと

すらすらと考えずに言えるよう 練習しておく

これ、なかなか便利に使っています

 

 

すっころんだ思い出 その1

昨日、はてなブログを読んでいて

思い出しました

 

子供の頃は わんぱくやんちゃだったのと

通学にバスを使っていたので

乗り遅れまいと

毎日のように走っておりました

 

その日も

友達とお喋りしながらの 帰り道 

後ろを ふと振り向けば 

バスが一つ前の信号で 停まっている

 

ここからだったら「走ればまにあう!」

一緒にいた友達と 頷きあって

バス停に向かって ダッシュした

 

その日は朝 雨が降っていた

走るわたしの横で 

腕にかけた 傘がぶらぶら揺れる

 

そして、一心不乱に走る私の

両脚の間に 傘がすぽっと入り

足の動きは阻害され 私は当然の如く

もんどり打って

すっ転んだ

 

それは

こんな転び方するんだ、って

思うくらいの 派手な転び方

 

友達に引っ張り上げてもらいながら

遅れてはならじ と 立ち上がり

痛い足をひきずりひきずり

よたよたと バス停に向かう

 

既に並んでいた他の子が 頼んでくれたのだったか

私の派手な転倒を見ていた運転手さんが

かわいそうと待っててくれたのか

どうにか乗ることができた

 

良かったね、間に合ったね、と

息を切らせながら

擦りむいた手のひらを見ながら

話していると

友達が「うわっ」と言って 私の足元を指差した

 

え? と見れば、膝から下が血だらけで

ソックスまで赤くなっている

こういうのって 認識した途端に

急に痛くなってくるもの

 

だけど 心配する友達を尻目に 

このくらい どうってことない

大丈夫だから

と 泣きたくなるのを我慢して

そのまま平気な顔をして 揺れるバスの中

踏ん張った

 

友達から 家によって行きなよと言われたけれど

(友達の家は乗り換えするバス停から歩いてすぐ)

大丈夫 大丈夫 と

ここでも痩せ我慢

 

駅でトイレに入って 膝を洗い

ハンカチでぎゅっとむすんで バスを乗り換えた

 

真っ赤なハンカチを結んだ

足を 引きずって家に帰り 

ここでも 誰にも言わず こっそりと 

うめき声を押しころしながら

ピンセットで 膝にめり込んだ砂利を つまみ取り

(すっころんだ場所は砂利道だった)

軟膏をべたべた塗って 大きな絆創膏を貼った

 

姉弟の中で一番年長だったからか

強がる癖がついていたのかも

今はすぐに「ひぇーん」と泣き言を言うけれど

 

いまでも私の膝には その時の傷の痕が

くっきりと残ってる

 

そのほかにも、

街のど真ん中で 雪に

つるっと滑って 尻餅をついたこととか

自転車で走っていて 

停車しているトラックに 前輪がハマったとか

おっちょこちょいエピソードは

数えきれないほどある

 

だけど

一番豪快に転んだのは

雨の上がったあの日 だな

 

 

「おとなになったら」

 

今週のお題「おとなになったら」

 

蝶の幼虫は 

この先 背中に

美しい模様の羽が生え

花から花へと飛び回り

空で暮らすと 

葉を一心に はみながら

知っているのだろうか

 

カブトムシの幼虫も

自分の背中が  ツヤツヤに固くなって

額の真ん中には 立派なツノがはえ

子供達のヒーローになるのだと

暖かい土の中で 

知っているのだろうか

 

おたまじゃくしも

手足が生えて 目の周りが盛り上がり

体が綺麗な緑色に変わって

陸に上がって 身長の何倍も高く 

飛び跳ねるようになるのだと

水の中で ちろちろと泳ぎながら 

知っているのだろうか

 

子供の頃のわたしは

今の私を知らなかった

 

今の私は

背中に 羽は生えておらず 

額の真ん中に つのもなく

綺麗な緑色でもない

 

だけど 今の私も

もっと大人になった私を 

知ってはいない