JuniperBerry’s diary

日々感じたことや ふと思い出した事を 書いてます

美味しい焼き鳥屋さんみーつけた♡

先日のこと

ある用事で 営業さんとお話ししていたら

その方が 以前 ぐるなびで働いていたんですよと

 

最近見つけた美味しいお店の話になって

教えてもらったのが

 

近鉄伏見駅の どまん前

2023年10月に OPENした

『炭焼ウチワ』さん

tabelog.com

 

早速 行ってみました

カウンターと 小さな二人用の

テーブルが一つのみの

こじんまりとしたお店

まだ6時前だったのに

カウンターには すでにお客さん

たった一つのテーブルは予約

なかなか 人気店とみた

 

入ってみれば

シャイそうな店主さんは 

笑顔が素敵

 

おすすめの つなぎ ふりそで 

そして 鴨葱 つくね などなどを

いただきました

どれもこれも すっごく美味しい

そして大きくって ジューシー

塩が引き立てる美味しさ 最高!

 

焼き鳥というと

以前住んでいた 大田区 大森の

葡萄屋さんが お気に入りで

何回も通ったのですが

残念なことに 

2021年に閉店してしまったそうで(T-T)

 

それ以来 なかなか 

お気に入りを見つけられていませんでした

そこに

 

やっと 巡り会えた 美味しいお店

 

また伺おうと思います🎶

営業さん 教えてくれて 

ありがとう♡

はて

我が家の 若干一名の中で 

ただいま 流行っている 言葉がある

 

『虎に翼』の

寅子ちゃんの 口癖

「はて?」を 夫が連発してる

 

それを聞くたびに

イラっとくるのは

なぜだろう

 

どこからみても

寅子ちゃんとは 

似ても似つかぬ

時々 無精髭を生やしたりする

おじさんだから だろうか

 

私は 寅子ちゃんの 

「はて?」 が好きだ

だが 夫の 「はて?」 は好きではない

 

寅子ちゃんが それは 受け入れがたしと

思っていることに

「はて?」 と言うのには

そうだ そこに疑問を持つのは当然だ

言ってやれーーーっ

と 「はて?」の 後に続く彼女の主張に

拍手喝采を送っている

 

だが 夫の「はて?」は

そんな主義主張とは無縁の

なんなら

私をおちょくりたいが ためだけの

「はて?」なので

そんなことに

寅子ちゃんの

「はて?」を使わないでくれー と

密かに 憤慨している私なのである

 

メモリー・トリップ

意図せず 急に

浮かび上がってくる

情景は 

ほんとうに ほんとうに

何の変哲もない ものが多い

 

普通に考えたら

記憶に しっかり 残っていても

良さそうな

 

大学の合格発表の日

(見に行かなかった)とか

夫との初めての デート

(全く覚えていない)とか

入社式

(中途入社だし そもそも 

あったんだっけ?)とか

 

ではなくて

 

真昼間のグラウンドで 

眩しくて 手をかざした日差し とか

長距離走の 順番を待っていた時の 

埃っぽい空気 とか

道を歩くたびに 目にしていた鉢植えとか

夕焼けに染まる牧草地とか

金色の葉を落とす 銀杏の大木とか

駐車場の野良猫グループとか

夜に浮かぶコンビニの光とか

 

意図せずに

ぱしゃっと シャッターが押されて

写真になって うっかり 残されちゃった 

みたいな 何の変哲もない情景が

やけに 鮮やか

 

なんでこんなシーンを

脳が選んで

記憶として残しているのか

 

もっと もっと 記憶していて

いいシーンが

あるだろうに ね

 

物事は

強い感情とリンクさせると

記憶しやすいという

 

私の記憶から 勝手に上ってくる

その映像は

自分の感情が 強く動いた時 

たまたま 見ていたから というだけで 

記憶されてしまった

感情の おまけなのかも

 

だけど 

記憶が刻まれる

きっかけになったはずの

感情が 映像と 

一緒に思い出される 訳では ないから

自分自身 「?」 な事の方が多い

 

先日 激しく窓を叩く

雨粒を見ていたら

突然 実家の車寄せで

幼い私が傘をさし 雨蛙をじーっと

見つめてる 映像が浮かんできた

 

この映像 これまでも

何度も 何度も 浮かんでくる

その時 何か 何かとても強い

感情が 私の中で 

動いていたのじゃ ないかしらと

思うのだけれど…

 

***

 

逆引きみたいに 映像から記憶を

手繰り寄せてみたら

どんな感情とリンクしているか

わかるかも? と

ゲーム感覚で

リバース作業を やってみた

 

そういえば…と 

旧い

記憶が蘇ってきたのは

 

イタリアで 一人

Peck(スーパー)に向かって 

がしがしと歩いていた あの時

夫と喧嘩して 

別行動していたんだっけ

 

実家の玄関で 段ボールを広げている私

この時

歳をとった父(私は父が50過ぎの時の子供)が

次の間で 海外に送る荷造りを

手伝ってくれていて

次の帰国まで 元気でいてくれるかな

なんて思っていたんだっけ

 

遠くの牧草地の緑の中を

真っ赤な傘を差して

犬の散歩をする人の 映像は

無人駅に 一人電車を待ちながら

私、ドイツにいるんだな って 

実感したのだったっけ

 

そんなふうに

記憶パズルが うまく解けると

次から次へと 

毛糸玉から 糸が引き出されるように

さまざまな記憶が

溢れ出してくる

 

それは

その時の自分になって

その場所にいるような

ちょっとした タイムトラベル感覚

その一方で 同時に 

上の方から 自分をそっと見ている

みたいな 不思議な感じ

 

そんなふうに

思って 感じて いたんだよね

なんて 

後ろから ぎゅって

抱きしめてあげたく なったり

一緒に大笑いしたく なったりする

 

いやいや

なにやってんのよ

ですけどね

 

だけど 

雨蛙の記憶は

まだまだ 

まだまだ

謎のまま

 

セレンディピティ

セレンディピティ 

「思いもよらなかった偶然がもたらす幸運」

って 言葉があるけど

それって 偶然なんかじゃなくて

自分で作るもの 

見つけるもの

なんじゃないかな って思う

 

転んでも ただでは起きないっていうか

何かに使ってやろう っていう

意気込みっていうのも あるかなあ

 

だって

気にしていないものは

目に入ってこないもの

 

意気込むまでは いかずとも

ずーっと心の奥底で 考え続け 思い続け

何かが 目の前を通り過ぎた時に

意味がわからなくても 気になって 

「これ」って掴んで

後から 大切な出会いだったとわかる 

とかも あり

 

だから

セレンディピティという偶然は

ずっと 思い続けている人だけが

気づくことのできる

ごく普通にそこらに転がっている

よくある出来事なんじゃないかな

なんて 思うのよ

 

だから 

好きなことや

大切なことは

忘れず

心の中にキープしておこう 

 

素敵な 出あいが

待っているはずだから

 

何もやる気が出ない時

何もやる気が 出ない時は

 

ぼーっと本を読んだり

積録(?)しておいた TVを見たり

というのが多いけど

 

それでも

 

お尻を叩いても 

やらなきゃならない ことがある

でも やる気にならないーーー

という時

 

どうにかして

ボールペンを取り出し

どんな紙でも(手近な裏紙だってOK)いいので

無地の紙をゲット

そして

 

数字を1から10まで

縦に書き出し

 

数字の横に

やることを書いていく

 

間に 洗濯だとか

(実際には洗濯機がやってくれて 

自分は手を動かさない)

体重測定だとか 

(毎日ルーティンでやっている)

負荷のほぼないものを 挟み込んで

リストを作る

 

すると

欲深な私は

消化したい 数字を消したい

という 欲に釣られ

リストを消化すべく 動き出す

 

一番いいのは

前日に「やることリスト」を

書いておくこと

すると、朝からばっちり

動けて 一日の終わりに

有意義だった! と

満足してお布団に入ることができる

 

私の場合 リスト作りは

のんびりモードに入ってしまった時に

背中をちょっと押してくれる

お助けメソッド なのだが

 

メモを書こうと 

締め切りが迫ろうと

どうしても どうしても

動くのがだるい

 

そんな時は 無理しない

 

睡眠不足か

体調不良か

疲労半端ない時だから

 

そういう時は

無理せず がんばらず

一日ごろごろして

休むに限る

それが無理なら

ユンケルと葛根湯とプロポリス

性善説は素敵だけど 「犯罪機会論」と「犯罪原因論」

いつもいつも

思っていることがある

私だけじゃなくて

みんな思っているんだろうな

って思っている ことがある

 

***

 

今から何年も前の事

夫の海外赴任が決まった時

夫の会社で

奥さんたちを集めた

海外帯同者研修があった

 

子供の送り迎えや

バッグの持ち方 から始まって

家の中に避難部屋を作るとか

宗教の違いみたいな話もあって

その時期の日本からしたら

かなり極端に思える話も 多かった

 

それでも その講習の影響もあって

ドイツでは

家のドアの内側に パンサーをつけた

 

パンサーというのは

外から開けることができないように

内側から 太い鉄の角材を渡して

つっかえ棒を作り

(鍵だけでなく)ドア自体を

まるまる壊さない限りは

侵入できないようにする装置

 

内側からパンサーに鍵をかけると

ガシャンガシャンと

硬質な音がして

金融機関の金庫みたいに

ドアを守る

 

今の日本の一般家庭で

こんなふうに 家を

防御しているところって

あるんだろうか

多分ほとんどないんだろうな

 

さすがにドイツでも これは

やりすぎだとわかって

ドイツ国内の 引っ越し先までは

持っていかなかった

(というか ドア本体に取り付けたものなので

外すとドアに穴があいちゃう)

 

けれど こんな強力つっかえ棒を

ごく普通に購入できて

取り付けられるのって

さすが海外だなと思った

 

「犯罪機会論」という考え方がある

文字面からはわかりにくいけど

犯罪に至る きっかけをなくす

または 犯行に関わる

リスクやコストを高くして

犯罪を未然に防ぐという考え方

 

ドライブレコーダーの取り付け

防犯カメラや 二重ロック

コンビニなどの トイレに貼ってある

「綺麗に使ってくださってありがとう」の

張り紙と 清潔なトイレも

この類に入るかも

 

ニューヨークのジュリアーニ市長が

犯罪撲滅のために 採用したのが この

「犯罪機械論」や「割れ窓理論

(壊れた窓が一つあると他の全てが壊される

=小さな犯罪を見逃すことが地域を荒廃させる)

 

けれど日本は

まだまだ「犯罪機械論」とは真逆の

「犯罪原因論」が主流みたい

 

「犯罪原因論」は

犯罪の 原因を追求して

犯罪者の 性格や境遇に フォーカスし

犯罪者は 特別(普通の人じゃない) という

スタンス

そして

日本では「応報主義的刑罰」

(=犯罪の報いとして罰する)

で 再犯の防止を 図ってる

 

そして いまだ日本に根強いのが

被害者特性の重視

「そんなところに行ったのが悪い」とか

「拒否すればいいのにしなかった」みたいな?

これは 犯罪者の 心理に フォーカスする

「犯罪原因論」と ベクトルが同じ

 

世界では 「犯罪原因論」には

効果がないとされて

もうずっと

「犯罪機会論」が主流らしい

 

「犯罪機会論」では

被害の原因を

被害者の 特質でも

犯罪者の 特異性でもなく

「生活環境」に 求めるようになった

 

これは 日常の 空間の中に

犯罪の 原因が 潜んでいるという考え方

だから それらの原因を摘むように

街を作り

道具を作り

システムを作る

 

「犯罪機会論」は 

刑罰で脅すのではなく

予防を重視する考え方

 

ちなみに 「犯罪機会論」で大切なのが

「侵入のしにくさ」と

「監視する目」

 

そう考えると

以前の 日本の社会 

そのもの なんじゃない?

 

ああそうか

だから 日本は 性善説システムなのね

昔の日本は

隣近所のつながりが 密で

よそ者を すぐに見つけ

地域全体で 噂話という形で

情報を 共有し 

新参者を 監視する

 

意図せずして 

「犯罪機会論」に基づいた

防犯を行っていた

 

だけど

それを日本人の 日本の特質と

捉えてしまったから 

社会のありようが 大きく変わって

人々の目を 期待できなくなった

現代に至っても

意識を 変えられずにいるのかも

(少しずつ 変わって来てはいるけれど)

 

安心安全神話の日本が漂流してる

 

お散歩に行こう

今週のお題「外でしたいこと」

 

うちのインコと一緒に

お散歩です🎶

 

セールでゲットした

Cellteiのインコさん用キャリーリュック

www.celltei.com

Cellteiは

ペット用キャリーブランド

とっても丈夫で

軽くて使いやすくて

お気に入り

 

以前、こちらの記事で仕様などをご報告

juniperberry.hatenablog.jp

 

ただ このリュック

3面に メッシュが 入っているので

寒い時期は 使えない

使うのは

気候の良い時期に 限られる

 

ということで

やっと出番が やってきました

さーて 一緒に お散歩行こう

 

***

 

ちなみに この記事を書いたのは

コケる前だったので…

足首の痛みが 治ってからかな