JuniperBerry’s diary

日々感じたことや ふと思い出した事を 書いてます

お雛様を探して

3月といえば 桃の節句 お雛様

 

こんなわたくしも かつては 小さな女の子だったのですけれど

桃の節句を祝ってもらったことがありません

 

お雛様は あるにはあるが ネズミに齧られていて 

どうにも痛々しいというか お気の毒である

だから我慢しなさい というのが父の言い分(言い訳?)で

 

雑食ネズミの食欲のせいで この歳になるまで

お雛様とは ほぼ無縁で暮らす事とあいなりました

 

今でこそ、お雛様に未練も何もありませんよと

嘯いておりますが 子供の頃はやはり

お雛様に、そして桃の節句という甘い言葉に

憧れがありました

 

そこで、まだまだ幼き頃

その時分はまだ 年をとってからできた娘に大甘だった父に

ネズミに食われていてもいい、私もお雛様が欲しい

「お雛様を出して」と頼み込むこと数度

 

父は雛人形がどこにしまってあるかなど

皆目見当がつかないようで、というのも

父が最後に見たお雛様は

歳の離れた叔母がまだ若かりし頃

 

なので 

 

渡り廊下から続く 土蔵の分厚い扉を開け

「ここにあるはずだから 探しなさい」 

 

自分が蔵を整理するついでに

娘にお雛様を捜索させる事にしたのでした

 

人の出入りの少ない土蔵の中は

南に向いた窓から入る光が 土蔵の中を明るく照らし

木の香りが充満して清々しい

 

母家が暗くてじめっとしているのに比して

蔵の中はからっとして 埃もほとんどなく

白木の床材は真新しくさえ見える

私の部屋はここにする と強く思ったほど

 

土蔵の中の柱には 大福帳なるものが引っ掛けられて

壁際には弦の切れた昔の楽器や屏風 箪笥が数竿

 

さまざまな大きさの箱が積み上げられ

それらの箱の中には

読めない文字だらけの冊子や手紙

薄紙が山ほど入っただけの箱

どう使うのか見当もつかない道具

円筒状の箱の中の ビロードのシルクハット

行李や提灯 あと もろもろ

 

それらを一つ一つ 父と一緒に開けていく

子供にとっては 巨大なびっくり箱の中にいるようだった

 

母に食事の用意ができたと呼ばれ

父と母家に戻った時には

お雛様探しのことなどすっかり忘れ

 

蔵の中で見つけた 訳がわからないけど 

面白い形の道具や細工物のこと

土蔵を自分の部屋にするなら

どんなふうに使おうか なんてことで

頭がいっぱいになっていた

 

それから何回か蔵整理を手伝った(邪魔をした)が

やはりお雛様は見つからなかった

 

ネズミに齧られたお雛様

どこに行かれてしまったのやら

 

ネズミと一緒に住まなくてはならぬような 

待遇の悪いところにはいられませぬと

愛想をつかして 出奔されたのではあるまいか

 

 

ただ、私が見るところ

蔵の中にネズミの形跡は なかったので

(そもそも本当にお雛様は この家にいらっしゃったのか?)

出奔されたとしても その理由は ネズミ以外にありそうです