JuniperBerry’s diary

日々感じたことや ふと思い出した事を 書いてます

父と本と 私

 

この頃 小説を読んでいない

手にするのも How Toモノがほとんどで 

その中に 時折 テキスト

 

幼い頃の私は そうではなかった

 

私は 小学校に入学したあたりから

一人で留守番をすることが多くなった

 

鍵は小学校には持っていかない

昭和の どの家にもあった(ように思う)

玄関脇の 牛乳瓶箱の中に入っている

 

箱から鍵を取り出して 家の玄関戸を開け

一番に向かうのは 本棚の前

 

今はネット上でいくらでも読めるけれど 

昔の人にとって 本はとても貴重なものだったろう

そして同時に 一種のステイタスでもあった

 

我が家にも 一回でも目を通されたことがあったのだろうか

と思うような 百科事典や洋書が

美しく装丁された背を見せて 

客間の背の高い本棚に

お客さんから見えるようにして 並べられていた

 

私が向かうのは その本棚ではなく

絵本など 子供向けの本ばかりが入った

居間に置かれた 小さめの本棚

 

そこから取り出すのは 小学館

『少年少女世界文学全集』や

『少年少女世界の名作文学』

 

それらを よっこらしょと引き出して

床に腹這いになって読む

 

時には 

客間の本棚の前に椅子を持ち出して

上の段から百科事典を取り出して 埃をはらい

薄い紙を捲りながら 細かい文字を

意味がわからないままに 目で追うこともあった

 

辞書を読んでいたからと言って

知識に飢えていたり 

賢くなったわけではない

 

ページを捲る指の感覚や

寝転んだお腹の下の 温い畳

幼い頃から 拠り所として馴染んだ感触も

本を読む楽しさと同じくらい

気持ちを落ち着かせてくれたのだと思う

 

だから 寂しい時

幼い私の手は 自然と本に伸びた

それが読めない漢字ばかりだろうと関係なかった

 

 

幼い頃は 本にどっぷりと埋もれるように

毎日を過ごしていた私だけれど

年齢が上がり 行動範囲が広がって

他にも趣味ができると

だんだんと本から離れていった

 

 

思い出してみると

父の私への誕生日プレゼントは

本が多かった

 

何度も読んだ小学館の子供向けの全集だけでなく

成人向けの

河出書房版『世界文学全集』と『日本文学全集』も

いつのまにか 家の居間に増えた書棚に収まっていた

 

本は家の中にどんどんと増えていったが

父がそれらの文学本を読んでいる姿を 見たことは一度もない

父は読書家だったが 読む本は 

哲学などの方面に偏っていたから

 

弟もほとんど 本 特に小説は読まなかったし

母は 本を読むには忙しすぎた

家で 本に手を伸ばしそうなのは 私だけだったから

私のために買ったとしか 考えられない

けれど 父は誰のために買ったとは 一言も言わなかった

 

不器用な人だった

表現することを良しとしない時代に生まれ

説明なしに「理解しなさい」 という人だった

 

中学後半から あまり会話をしなくなった

娘が幼い頃 夢中になっていた そして

父の年代にとって 貴重であった 

本というものを

ただ ただ買い続ける

 

あれは 

父なりの 私への

愛情だったのかな と思う