JuniperBerry’s diary

日々感じたことや ふと思い出した事を 書いてます

風邪ひきさんの思い出

 

幼い頃の私は よく風邪をひく子供で

幼稚園も休みがち

 

熱を出すと決まって 

普段は台所になど立つことのない父が

葛湯と林檎のすりおろしを作ってくれた

 

葛粉がぽったりとしていくのを見るのが楽しくて

熱があるのに 父の横にぴったり張り付いて

鍋の中を覗いてました

 

小さなお椀に入れた半透明の葛湯と

ポタージュみたいな 色の変わり始めたりんご

 

父の隣で順繰りに口に運ぶ

それは甘くて 暖かくて ひんやりしていて 

風邪をひいた時しか味わえない特別な味

 

子煩悩な父に比べ 

母は風邪なんて寝ておけば治る というのが子育ての方針 

そのせいか、風邪をひいたからと

病院に連れて行ってもらったことがない

(ただ、げんきんなもので、課外授業を休みたくて

診断書が欲しい時だけは病院に行ったけど)

 

考えてみれば

小さい頃は筋金入りの父親っ子でした

宿題を見てくれるのも

休みの日に遊んでくれるのも

箸の使い方を教えてくれたのも

一緒にゲームするのも 父

 

私はいつも父の後をついてまわり

熱を出すと 

父が本を買って来てくれたり、様子を見てくれたり

熱をはかってくれたり 薬を用意してくれたりして

 

今となると、それが嬉しくて

意識してはいなかったけれど

熱を出していたのかも、なんて今は思う

 

幼い私の目に写る父は

なんでも知っていて

いつでも正しくて

優しくて

この世で一番カッコよかった

 

 

けれど 反抗期以降は

視線が鬱陶しくなったのか

それとも

母の「風邪は寝て治す」主義のおかげで体が強くなったのか?

熱を出すことも少なくなって 学校を休むこともなくなった

 

その頃から 次第に父との間に距離ができはじめ

海外滞在が長かったこともあって

亡くなる数年前まで 疎遠になって

(母とは電話で頻繁に話していたけれど)

 

そして最後の何年かは 父と顔を合わせるたびに

その時々の

悩み事や、やらなくてはならない事ばかり考えていた

 

私の中に 父に対する しこりというか

しがらみのようなものがあったのだな

とわかったのは

こんなふうに 父との温かい思い出が浮かぶようになってから

 

以前は思い出す事がなかったから

 

大好きだったからこそ

一旦距離ができてしまうと

それがまるで強固な要塞のように

感じようとする気持ちを撥ねつけてしまうのかも

 

やっと幼い頃の父との思い出を

優しく思い出せるようになってきたこと

これも喪の作業の一つなのかもしれません