JuniperBerry’s diary

日々感じたことや ふと思い出した事を 書いてます

好きと欲しい

 

先日どちらかで紹介されていた

『僕らはそれに抵抗できない』

アダム・オルター著(ダイヤモンド社)を 読んだ

honto.jp

 

第3章だったかな

 

好きだ というのと

欲しい というのは

全く違う事らしくって

 

好きだから欲しい だけかと思っていたら

嫌いだけど欲しい も あるんだって

 

そういえば

夜寝る前に うっかり

PCやスマホで 調べ物をしているうちに

 

もう寝なくちゃ 明日に響く

そもそも 眠くてたまらない 

だから もう終わりにしなきゃって思ってる

なのに

マウスを動かし

クリックし続けてる

 

TVだって

はじめは、見るわけでなく

ぼんやりと 

つけていただけなのに

なぜか夜中を過ぎても 

消す気にならない って事

(ビンジウォッチングと言うそうな)も

時々ある

 

嫌だけど止められない が

度を越しちゃうと

中毒、嗜癖、依存症になるのかな

 

以前心理学の授業で

飲酒にしても麻薬にしても

アディクションは 病気

意志の力だけで どうにかなるもの 

ではない と 習ったっけ

 

だけど、本当は

環境から対象を 完全になくしたら

抜けられるのだそう

(それはそうよね、依存しようにも

当の対象が 存在しなかったら

依存しようがないもの)

 

依存症のトリガーは 記憶

思い出させる物さえ なければ

依存症から抜け出せる

 

ただ、社会生活を送っている限り

対象を (思い出させるものも含めて)

完全に取り除くのが 難しいから 

抜けられない

 

依存って、環境的な要因が大きいのね

 

***

 

依存行動や依存対象は

ドーパミンを放出させるけど

それも、普通ならば ごく少量のはずが

大量に放出させるから

高揚感? が異常に

鮮やかに感じられるのだそう

 

ところが、脳は

こんなに大量にドーパミンを出すなんて

間違いに違いないって

次からは 同じ量の刺激に対しても

ドーパミンの放出量を減らしてしまう。

 

すると、前回と同じ量では

同じだけの快感を得ることができず

快感を得るために どんどんと量が増え

負の連鎖が始まってしまう😱

 

ただ、快感をもたらすもの全てに

依存症になる なんてことは ない訳で

心理的にダウンしている時

依存対象に頼れば

「気持ちが和らぐ」という体験をして 

「辛い時に楽になれる方法」と

学んでしまうことで 依存が始まる

 

依存もしくは常習は

物質が作るわけじゃなくって

体験と思いが作るのですって

これは 目から鱗だった

 

ちなみに

10代以前に

薬物に頼るなどの 

依存症にならなければ

その後に発症する率は 低いのだそう

 

10代って、それだけ

不安定で負荷の大きくかかる

年齢ということなのか…

 

***

 

「依存症とは 方向を間違えた愛情

強迫観念から来る 愛」

とあった

 

恋をしている時の脳は

薬物をやって ハイになっている時と

同じなのだそうで

 

心理学者スタントン・ピールによると

依存症は

「自分にとって害になるのに

本人の生態において 欠かせないものとなり

自力では やめられなくなった 体験に対する

過剰で機能不全な 執着のこと」

 

その対象が好きなんじゃなくて

むしろ、嫌いなのにも関わらず

欲しがってしまう事

 

好きと欲しいは 別物で

それぞれ脳の別の部分を使ってる

「好き」が使う脳部位はとても小さくて

別のものに対象が移りやすい

一方の、「欲しい」という感情は

脳の広範囲が関連して 

簡単に消えたり

対象が他に移ったりはしない

 

好きと欲しいは 通常

重なっているけれど

依存に関しては、正反対

 

好きではないのに

欲しくてたまらない

 

これって

報われない恋と同じ?

身の破滅につながると知りながらも

欲しくて我慢ができなくなる

 

好きが嵩じて 欲しくなる

相手への 依存に結びつく 

 

小説には こんな関係性を 

テーマにしているのが

多いような

 

人間の普遍のテーマなのかな?

 

愛こそ全て なんて言うけれど

愛だって拗らせたら

相手への依存に なりかねないということなのね

 

物事って なかなか

一筋縄に 行かないものなのね