意図せず 急に
浮かび上がってくる
情景は
ほんとうに ほんとうに
何の変哲もない ものが多い
普通に考えたら
記憶に しっかり 残っていても
良さそうな
大学の合格発表の日
(見に行かなかった)とか
夫との初めての デート
(全く覚えていない)とか
入社式
(中途入社だし そもそも
あったんだっけ?)とか
ではなくて
真昼間のグラウンドで
眩しくて 手をかざした日差し とか
長距離走の 順番を待っていた時の
埃っぽい空気 とか
道を歩くたびに 目にしていた鉢植えとか
夕焼けに染まる牧草地とか
金色の葉を落とす 銀杏の大木とか
駐車場の野良猫グループとか
夜に浮かぶコンビニの光とか
意図せずに
ぱしゃっと シャッターが押されて
写真になって うっかり 残されちゃった
みたいな 何の変哲もない情景が
やけに 鮮やか
なんでこんなシーンを
脳が選んで
記憶として残しているのか
もっと もっと 記憶していて
いいシーンが
あるだろうに ね
物事は
強い感情とリンクさせると
記憶しやすいという
私の記憶から 勝手に上ってくる
その映像は
自分の感情が 強く動いた時
たまたま 見ていたから というだけで
記憶されてしまった
感情の おまけなのかも
だけど
記憶が刻まれる
きっかけになったはずの
感情が 映像と
一緒に思い出される 訳では ないから
自分自身 「?」 な事の方が多い
先日 激しく窓を叩く
雨粒を見ていたら
突然 実家の車寄せで
幼い私が傘をさし 雨蛙をじーっと
見つめてる 映像が浮かんできた
この映像 これまでも
何度も 何度も 浮かんでくる
その時 何か 何かとても強い
感情が 私の中で
動いていたのじゃ ないかしらと
思うのだけれど…
***
逆引きみたいに 映像から記憶を
手繰り寄せてみたら
どんな感情とリンクしているか
わかるかも? と
ゲーム感覚で
リバース作業を やってみた
そういえば…と
旧い
記憶が蘇ってきたのは
イタリアで 一人
Peck(スーパー)に向かって
がしがしと歩いていた あの時
夫と喧嘩して
別行動していたんだっけ
実家の玄関で 段ボールを広げている私
この時
歳をとった父(私は父が50過ぎの時の子供)が
次の間で 海外に送る荷造りを
手伝ってくれていて
次の帰国まで 元気でいてくれるかな
なんて思っていたんだっけ
遠くの牧草地の緑の中を
真っ赤な傘を差して
犬の散歩をする人の 映像は
無人駅に 一人電車を待ちながら
私、ドイツにいるんだな って
実感したのだったっけ
そんなふうに
記憶パズルが うまく解けると
次から次へと
毛糸玉から 糸が引き出されるように
さまざまな記憶が
溢れ出してくる
それは
その時の自分になって
その場所にいるような
ちょっとした タイムトラベル感覚
その一方で 同時に
上の方から 自分をそっと見ている
みたいな 不思議な感じ
そんなふうに
思って 感じて いたんだよね
なんて
後ろから ぎゅって
抱きしめてあげたく なったり
一緒に大笑いしたく なったりする
いやいや
なにやってんのよ
ですけどね
だけど
雨蛙の記憶は
まだまだ
まだまだ
謎のまま