JuniperBerry’s diary

日々感じたことや ふと思い出した事を 書いてます

「空気読めない」の効用

グループシンク(Group Think)=集団思考って

日常的に よく目にする状態かもしれない。

 

個人はそれぞれ 違った考えを持っているのに

集団としての決断は それとは別の方向に行ってしまう。

その場の雰囲気に流される って事かな。

 

摩擦を避けて いい人でいようとして

空気が読めない 野暮な奴と思われないように

自分の意見は違うけど 変に口を出して 責任とりたくないし

それに 自分一人が 言わなくったって 

本当に大切な事なら 誰かが 言うはず

 

そういう風に考えちゃう

 

そう、自分一人くらい大丈夫

責任は 集団に そして最終的には

集団の中で 自分よりも立場が偉くて

声が大きくて強い人が 責任をとるから

言わなくっていいよね

 

って思っちゃう 

 

多分、一番 イメージにピッタリ来るのが

戦前の空気感 なのかな

 

本を読むと、かなりの人が

こりゃまずい、日本負けるぞ って思っていたらしいけど

なのに どんどん突き進んで 戻れなくなった

 

私自身は その時代に生きていないから 

実際に戦前の空気感を経験をした 訳ではないけれど

その場の空気=雰囲気、ムードで動き

それがどんどん加速して もう後戻りできなくなる

っていうのは 現代日本でも そして多分世界のどこででも

起こっている事なのだろうなあ

そして悲劇が起こる 

 

そして たくさんの人たちが、

「なんでこんな事に」 と 後悔する

 

だけど、加速度がつく前に

楔を打ち込んでくれる

「ちょっと待って」って 言ってくれる

人が もし いるとしたら それは

 

「空気の読めない人」なんじゃないかしらん

 

空気読まないし、迎合しないし

思ったことを するっと言ってしまって

日常生活では 「なんなんだよ」と冷たい目を向けられがちな KW

KY(私はこの 呼び方が好きではありませんが 敢えて)

 

みんなが 周囲に押されて流されて 

まあいいか となっている時

 

「わからないから 詳しく説明して」 とか

「なんか違ってない?」 とか

「そう思わないなー」なんて

本音を言って

ブレーキまでは いかないかもしれないけれど

一歩立ち止まって 考えるきっかけをくれる人達

 

日本では というか 特に日本では

「人と違ったありかた」で

「人と違った考え方」の

「空気を読めない」と言われる人に対して

「蔑み」にも似た 強烈なマイナス感情を

感じる気がするのだけれど

 

集団思考の巣窟のような 

日本だからこそ

「空気を読めない人」こそが

もっともっと 必要なのかもしれないんじゃ?

なんて 思うの

 

まあ、私も 

「何で今?」

「せっかく楽しく過ごしているのに

雰囲気を壊さなくてもー」

なんて思うことあるけど。

(そして、反対に 私自身が「空気読めよ」って

思われていることだって多々あるかも)

 

だけど、もしかしたら 

空気を読めないその人が 

 

集団が

奈落の底へとつながる 穴や崖に向かって 

突進している時の

命綱に

なるのかもしれない

 

なーんて 思う事があるのです

 

そう考えると 

萎縮の枠が ちょっと薄くなりそう

 

ちなみに、

たった一人、他とは違う意見を持っている誰かさんがいるとして

その一人が 執拗に、ずっと継続的に訴え続けることで

集団の意識が徐々に変わり

そのたった一人の意見が 集団意見になる

という現象もあるそうな。

これもまた 訴える内容によっては 危なっかしい

 

まずは 自分でしっかり考える癖をつけ

自分の考えや意思を 他人に委ねてしまわない

それが 大切なのだろうなあ

 

だけど それこそが なかなか難しいし

そして 実践したら

無難な「いい人」には 到底思われそうにない

 

 

* KYを当初KWと打ち間違えており、訂正させていただきました。

ぱなしのお玲さん、おしえてくださってありがとうございます