JuniperBerry’s diary

日々感じたことや ふと思い出した事を 書いてます

ドイツ語と脳疲労

 

ドイツ語の発音はすごく明快

¨ (ウムラウト=アルファベットの上にてんてんをつける)とか

一定の順番になっている アルファベットを 除けば

ローマ字読みでOK

 

英語みたいに 単語によって

発音が変わったりしないので

とっても楽 

明朗会計ならぬ明朗発音?

ドイツ語学習者には とっても嬉しい この発音規則🎶

 

どの言語を話すかが 

その人の人となりに影響する

とすれば

 

ドイツ人は ドイツ語発音の明解さを

持ち合わせているのかも?

 

これは あくまでも 私の 個人的な印象 なのですけど

 

ドイツ人は 何にしても はっきりしてる

好きは好き

嫌いは嫌い

自分の意思をはっきりと表現する人が多い

(丁寧と明解な表現は両立するし)

もちろん、人それぞれで度合いは違っているけれど

 

それは もしかしたら

言語に対する

信頼感が強いというか

価値を置いている ということなのかな

 

ドイツでは 「言ってなんぼ」

自分を表現しない人は 存在感が薄くなる

 

これは カナダでも感じた事

けれど

ドイツではもっと強かった

 

嫌いだって言ってたから あの人はこれが嫌いなんだ

参加したいって言ってるんだから 参加したいんだね

となる

 

これが日本だと

口では嫌いと言っているけれど

本当は好きだったのかも

参加したいと言っているけれど

おつきあいで言っているのかも

 

これって 考え始めたら キリがない

考えたって わかるはずのないことなのに

 

ドイツでは

そういうストレスを 感じたことがない

 

言葉を そのまま 受け取ればいい

もちろん ドイツ人だって嘘をつく人はいるし

正直者ばかり という訳ではないし

 

ドイツ語が堪能というわけではない 私には

理解できていないだけ かもしれないけど

 

 

ただ ドイツで感じたのは

言葉は言葉以上でもないし 以下でもない

 

違ったら、間違えた、と言えばいい

あの頃とは変わったの、と言えばいい

 

「私は嫌だ」 

「あなたは違うと 私は思う」

と言ったからって

排除されてしまうことがない 

それどころか 

さらけだした自分を 認めてもらえる

安心感がある

 

一方で

日本語は

地域やコミュニティーによって 

言葉に関する 約束事や

小さな決まりが 山ほどあって

 

それらを 使いこなせないと 

無作法な人になってしまう可能性が高い

 

とても小さな たった一つのことを理由に 

人間関係が 大きく変わってしまうことさえある

 

慮る

言葉の裏を想像する

 

日本語の繊細さや豊かさにつながっていて

「優しさ」 から来るのだろうけれど

一つ間違えたら 人を がんじがらめにして動けなくしてしまう

なぜなら 全てが「曖昧」だから

 

曖昧さに価値を置く日本と

明解さに価値を置くドイツ

 

どちらも 素晴らしい文化

 

ただ、自分には知り得ないことを

悩んだり 考え続ける必要がない

ドイツ人は

日本人にくらべて

疲労の割合が低そう

 

「嫌い嫌いも好きのうち」なんて言葉は

ドイツには 存在すらできないんじゃないだろうか

と ひそっと思っている