JuniperBerry’s diary

日々感じたことや ふと思い出した事を 書いてます

大叔父のこと

母方の祖父の弟の 

S大叔父さんが私は大好きだった

豪放磊落で 小さなことに ちまちましない

今はもう絶滅危惧種なのかもしれない バンカラ気質?

なぜか 東京帝国大学出身者には 

卑屈に出てしまう所も 可愛かった

 

母方の祖父が 長男で家を継ぐのだから必要ない と

大学に行かせてもらえなかった

(のを ずーっと根に持っていた)

のに引き換え

 

この大叔父は

北は北海道から南は九州まで

東京を除いて

文学、哲学と大学を渡り歩き

最終的に九州で 医者になったという

変わり者(旅行が好きなの?)

 

90歳を過ぎても 高齢者施設を回診する程

元気で丈夫な 威勢のいいお医者さんで

祖父も祖母も病気の際や入院という時には

毎回大叔父が手配をしてくれた

 

もちろん、私も

夏休みの水泳授業いやだー 

という時などには

とってもお世話になった

(いい子はやっちゃダメです)

 

その大叔父が

あねさまあねさま、と慕っていたのが

私の祖母

 

祖父が99歳で亡くなってから

祖母は意気消沈はしていたけれど

おっとり気質だったからか

親類縁者ご近所さん 全員から愛されて

100歳を超え、105歳を超えても

かわりばんこに泊まりに来る

子供たちにサポートされながら

暮らしていた

そして 大叔父さんも もちろん

いつだって 気にかけていた

 

それでも

ある日 ドイツに暮らす私の家の

電話が鳴った

祖母が亡くなったという知らせだった

もう110歳にも届こうか という

年齢だったから

悲しいというよりも

私のおばあちゃんでいてくれて

ありがとう

お疲れ様 という気持ちの方が 強かった

 

そしてまた それほど

時間を置かずに 電話が鳴った

祖母の訃報の知らせを聞いた大叔父が

電話をとったその場で 

心臓発作を起こして亡くなった との

知らせだった

 

え、嘘でしょ と耳を疑った

ただただ 驚いた

 

そして

大好きだった二人の葬儀に 

出席は叶わなかった

 

その半年ほど前 

一時帰国して

おばあちゃんと大叔父さん

二人に会っていたのが

せめてもの救い

 

夏の終わりの 今みたいな

ちょっとしんみりとする 時期になると 

大好きだった人達を 思い出します