JuniperBerry’s diary

日々感じたことや ふと思い出した事を 書いてます

あの日のこと その1

 

3月になると 思い出すことがあります

それは、ある一日の ある人の事

今日と明日、その事を書こうと思います

 

けれど、もしかしたら

気分を害される方がいらっしゃるかもしれない

そうだとしたら 申し訳ありません

 

ただ 私個人の備忘録としてここに 

書いておこうと思います

 

2011年3月11日

その日、私は代休をとって 

お菓子教室で和菓子作りを習っていました

教室を一回休んだ その振替です

 

曜日が違うので 初めての人ばかり

けれど 和菓子好き同士 話は弾みます

 

その日のお菓子は

桜色の練切(ねりきり)

練切は、白餡に白玉粉などを加えた 練り切り餡を

季節の形に細工した 上生菓子のこと

 

餡を手のひらで丸めて 形を作り始めたあたり

足元がグラグラっと大きく揺れ

 

教室の大きな棚が

揺れてガチャガチャと音を立て

咄嗟に棚を押さえていたつもりだったけれど

あまりの揺れに 私はむしろ棚につかまっていました

 

一回めの揺れが収まり、皆が安堵のため息をつき

見れば 誰も彼もが テーブルや壁に貼り付いていました

 

「なかなかすごい揺れだったね」

「東京が震源かなあ」

「停電しないといいけど」

 

その時は 揺れがおさまった安心感から

笑顔で お菓子作りを再開

 

しかし またすぐに次の揺れが来て

 

先生が「下に入って!」と鋭い声を上げ

誰もが頑丈なステンレス製の調理台の下に潜って 足につかまる

 

揺れが始まると 台の下に隠れ

揺れが収まると 和菓子作りを再開する

それを繰り返しました

 

最終的に 全員が包餡を終わらせて

和菓子は完成

 

包丁などは使っていなかったし 

棚が倒れることもなかったので 

怪我をした人は誰もいませんでした

 

作ったお菓子を 持ち帰り用の紙箱に詰め

先生が作っておいてくださったお菓子を 

皆んなで お茶と一緒にいただきました

 

けれど 味は覚えていません

あんなに綺麗な 春色のお菓子だったのに

 

「東北で地震が起こったみたい」 と スマホを見た誰かの声

東京でこれだけの揺れだったら

震源に近いところは どれだけ酷い揺れだったろう

 

にぎやかだった教室から 笑顔が消えて 

誰もが心配と不安とで顔をこわばらせていました

家族のこと、親戚のこと、家のこと

 

帰る支度を始めた その時 

窓から外を眺めていた先生が

「電車が動いていないみたいよ」

 

改札に入ることのできない人たちが

遠目からでもわかるほど 

駅前に集まっているのが見えました

 

全員が椅子に座り込み

「どうしよう」と小声で話す人

スマホで連絡を取ろうとする人

 

ある生徒さんは 何度もスマホを確認していた 

ご主人が ちょうど仙台に出張しているという

 

彼女の声は「大丈夫」という言葉とは裏腹に

語尾が細く小さくなった

 

その和菓子教室には

北海道や関西から来ている人もいて

移動の足を失った 私たちは 

教室から動けなくなってしまった

 

その2に続く