JuniperBerry’s diary

日々感じたことや ふと思い出した事を 書いてます

我慢

父が亡くなってから

母は 

祖母に似てきた

 

入っている 施設の

職員さんからは

「お母さんは とっても

穏やかで優しい方ですね」

言われる事がよくある

(というか、面会に行くたびに言われる)

職員さんたちは 母が怒っている 様子が

想像できないらしい

 

その度に 私は 手をヒラヒラさせながら

「いえいえ おっかなかったですよー」

と 答える

 

だって 本当に怖かったんだもの

 

私は 母が歳をとってからの子供で

その上

父と母は13歳 年齢が離れている

 

私が幼い頃は

父が大甘だったから

母親の自分が

しっかりと躾けなきゃ、と

思ったのかもしれないけれど

なにしろ 

なにしろ おっかなかった

 

もちろん父も 躾には厳しくて

ご飯中に足を崩そうモノなら

手が飛んできた

(弟は胡座で食べても

ノーチェックだったけど)

もちろん 肘付き厳禁

口に物を入れたまま喋るなんて

とんでもない

畳の縁を踏めば チェックが入る

 

あれ? なのに 

どうして母の方が

ずっと厳しかったと

記憶しているんだろう?

多分 怒り方の熱量かな?

 

母は地団駄踏んで

怒る感じだったので

 

今、丸くなった母を見て

私の かなり歳の離れた従姉妹は

「若い頃のお茶目な

おばちゃんのことが

みんな大好きだった」

と言った

 

だけど

施設の職員さんが

怒る母の姿を 思い浮かべられないのと同じで

私は お茶目な

母の姿を

思い描く事ができない

 

丁度母の更年期

(その頃 この言葉はなかった)と

私の思春期が 重なったのもあったのか

家の中は なかなかの戦場だった

 

母は7人兄弟の 末の方で

姉兄が 贅沢に育ったのに引き換え

時代もあって 我慢ばかりの

青春時代を送ったらしい

 

それもあってか

母の私たちに対する口癖は

苦労する方を選びなさい

我慢しなさい

艱難辛苦を与えたまえ

って感じ

 

プロテスタント系の

女子大に通っていたというのも

影響していたかも

 

ずっと

母は 怒りもするけれど

我慢が得意ってことだね と思っていたけれど

だけど

我慢が得意な人なんて この世にはいない

それに 我慢は歪みをもたらす

 

思えば

不調を感じても病院に行かず

大病を患ったのも

我慢の弊害?

そしてそれが ずっと後を引いた

 

母の人生は

若い頃は 周囲の状況で

その後は 古い家に嫁いで

その後は 健康のせいで

 

精神的に

ずっと 我慢し続けてたと思う

 

我慢って

癖にしちゃあだめだと思う

我慢するのを癖にすると

それが通常運転になって

心は麻痺して感じなくなるけど

体は変わらず影響を受けているから

体が壊れる

 

そんな母と 真逆の私は

辛いこと大嫌い

なんで自分から辛い方を

選ばなきゃいけないの と

常々思っていた

 

その上

好き、欲しい、こうやりたい と

照準をロックオンしたら

妥協しない

 

こんな 我儘で

危なっかしすぎる私だから

我慢が得意な 母でさえ

子供の頃の私に

怒らずには

いられなかったのかも しれないな

 

ごめんね