JuniperBerry’s diary

日々感じたことや ふと思い出した事を 書いてます

ヨーロッパ横断 シベリア鉄道で日本を目指す!その4 ウィーンから東ドイツ:ベルリンの壁を見に行った

<これは 私がまだ若かりし頃 ずーっと昔のお話です>

 

ウィーンで声をかけられて

まさか 売り飛ばされるなんてことはないよね と

ちょっとドキドキしながら向かったB&B

とっても居心地が良く

 

ちょっとホームシック気味のおばさんは

一人旅の怖さを垣間見た 

日本人の小娘の不安を和らげてくれた

 

 

結果、ウィーンはすっごく楽しかった

 

人のまばらな ヴェルべデーレ美術館や

ゼセッション(分離派)館の クリムトの絵の前で

時間を気にすることなく過ごし

 

おばさんオススメのお店で ザッハトルテやシュニッツェルを食し

シェーンブルン宮殿の庭園でぼんやり日向ぼっこして

おばさんと一緒にお茶をしながら 思い出話を聞いたり

ジーンズOKの 楽しいクラシックコンサートにも行けた

 

あんまり楽しすぎて 予定を大幅に超過して

10日も滞在してしまった

 

きっと、その人毎に、居心地の良い街の大きさや雰囲気があって

ウィーンは、その時の私にとって しっくりとくる街だったのかと思う

 

いっそのこと 東ヨーロッパに行かず

シベリア鉄道にも乗らず

ウィーンにこのまま1カ月滞在して

そのまま日本に帰っちゃおうか と思ったくらい

 

シベリア鉄道代も赤い矢号代も

ロシアでのホテル代も払込済みのため もちろん却下)

 

斯くして 

パリでのショックを癒してくれたウィーンを後にして

小さくため息をつきながら

次の予定地 ベルリンに向かった

 

 

 

ベルリンでの目的はただ一つ

ベルリンの壁」を

自分の目で見て、その場の空気を感じること

 

雨降りという天候のせいか

それとも

東ベルリンという言葉の持つイメージからか

街は重苦しくて暗い雰囲気に澱んでいた

 

ベルリンの壁は 思っていたより ずっとずっと低かった 

人々が記念に持ち帰ったという瓦礫も まったく見当たらなかった

そして 壁周辺には 観光客らしき何人かが ちらほらと見えるだけだった

 

壁が崩された時 テレビに映っていた

歓喜と興奮に満ち溢れた人々はどこにいってしまったんだろう

 

今はアートスペースみたいになっているらしいけれど

私が行った時にも既に絵や文字が描かれていた

 

今 「ただの壁」でしかない風を 装っているくせに

どれだけの人の人生を変えたのだろうと 

世界史の授業をぼんやりと思い出しながら

絵や文字をたどりながら

写真も撮らず てくてくと歩き続けた

 

 

いつ何時もそこに立ちはだかり 

考えることなしには 生きていけないもの

から

忘れても 暮らしていけるものへ

 

その時 壁は既に「歴史的構築物」に変わってた

 

 

ところで 

ベルリンで一番 混乱したのは

スーパーのショッピングカート

カートが全てチェーンで繋がった

何年か後に 頻繁にお世話になるこのカートシステム

 

どうやったら取り外せるのか 訳がわからず

お客さんたちが使っている様子を こっそりチェック

無事取り外せた時には よっしゃ と両手でグーを作った

 

 

 

その5に続きます

長くなってすみません m(_ _)m